「ちゃんと寝たか?クマ出来てんぞ」
通学路で一緒になった阿部にそう指摘されて、三橋は言葉に詰まって俯いた。
ホントの理由なんて言える筈がなく、小さく「今日、の・・・」と呟くと、納得したように阿部は頷いた。
「遅くまで勉強してたのか?まー、そんなら仕方ねーけど」
深く追求されなかった事に安堵した顔を阿部に覗き込まれ、三橋は緊張して息を詰めた。
「ここ、切れてる」
徐に、阿部が自分の唇の端を指差した。
朝の冷たい空気に耳も頬も真っ赤にした三橋は、白い息を吐きながら阿部につられるように指で唇の端に触れた。 ささくれた皮膚が指先にちくりと当たる。
冬場、特に投球に影響が出る手は気遣って爪を揃え、荒れないようにマニキュアやハンドクリームも塗っているが、 顔は全く、これっぽっちも気にかけていなかった。今日も眠気を飛ばす為に、顔は水でばしゃばしゃと洗っただけだ。
「ごめんなさい…」
相変わらずの斜め思考で謝罪してきた事に、阿部は少し呆れながらも痛くないのかと訊くと、
三橋は痛くないと上目遣いに答えた。
「ちょっと待って」
阿部は学生服のポケットからリップクリームを取り出すと、三橋の前に差し出した。
「とりあえず、これ塗ったら?…てか、やるよお前に」
「い、イチゴ。い、いいの?」
スティックタイプのそれは、筒状のケースに可愛らしい苺のイラストが入っている。どう見てもローティーンの女の子用だ。
「シュン…あー、弟に何でもいいから買ってこいって頼んだら、ソレ買ってきたんだよ。まだ使ってねーから」
阿部がキャップを開けると、二人の周囲にほんのりと冷気を和らげる苺の香りが漂った。
「ったく、自分の趣味で買いやがって…食べんなよ?」
顎に手を掛け少し上を向かせると、ひんやりとした阿部の手の感触に少し三橋は身を震わせ、思わず目をぎゅっと瞑った。
そんな様子に構わず、阿部は適当にその唇にリップクリームを塗りたくり、キャップを閉めると三橋の手に握らせた。
「気が付いたら塗るようにしろよ」
「う、うん …ありが、とう」
三橋は礼を言い、そしてまた何かを言いたそうにしたが、手渡されたそれをぎゅっと握ると、大事に学生服のポケットにしまった。


***** **
「じゃ、今日の分のケーキ、タカにーの部屋で食べるから!」
シュンの先制攻撃に母親は何か言いたそうな面持ちで、だが何も言わずに、ケーキとコーヒーを乗せた盆を持って 階段を駆け上がるその後ろ姿を見送った。
父親は仕事で今日は帰って来ない。全員が食卓に揃い、誕生日を祝うのはクリスマス頃になるかもしれない。
兄弟水入らずで、ゆっくりと食後のデザートを楽しむのもいいだろう。
参加出来ないのは寂しいけどねー と心の中でこっそり独り言ち、食後の片付けをするべく母親は腕捲くりをした。

* **
こうして二人だけで甘いモノを食べるのは、どれくらい振りだろう?
いや、もしかしたら初めてかもしれないなとシュンは思った。
食卓で一緒に食べたそうだった母親を敢えて振り切って、阿部の部屋で二人で食べると主張したのは、 二人とも試験週間だったというのもあるけれど、兄との時間を独り占めしたいという密やかな願望からでもあった。
シュンの主張に対して阿部は良いも悪いも言わず、ただ「ああ」と了解の意を示しただけだったが、 受け入れられただけでも嬉しかった。
卓上に盆を置くと、阿部はそこからコーヒーの器を真っ先に取った。
「零さないってば」
その意図を汲み、シュンは阿部を軽く睨んだ。それに対して肩を竦めるだけで答える姿に、むーっと口を曲げて見せる。
真っ白な生クリームの上に苺を飾ったシンプルなケーキは母親が阿部の為に予約して買ったものらしい。
因みに家族の誰も、阿部が甘い物があまり得意ではないという事に気付いておらず、阿部もソレを指摘する気は無かった。
祝い事にはケーキ。分かり易くていい。
盆からそれらを卓上に移し終わると、自然と二人は手を合わせた。
「「いただきます」」
それとほぼ同時に、携帯の呼び出し音が二人の間近で鳴った。
「にーちゃん」
シュンは出るように促したが、阿部の視線は動かないまま、フォークで掬った生クリームをそのまま口の中に入れた。
「メール」
その返答に無言で了解の意を示し、シュンも同じように生クリームを口に運んだ。軽い甘さがふわっと口に溶け、思わず顔が綻ぶ。
二人が一口目の生クリームの甘さに辟易したり堪能したりしている処へ、遠く母親からの声が届いた。
「シュンちゃんー、学校の子から」
「後で掛けなおすってっゆってー」
「シュン」
「平気」
迷わず間髪入れずそう返答した言葉を、阿部は聞き咎めたが、それをシュンはさらりと流した。
決して表立っては言わないが、今の時間を大事にしてくれてる兄と、同じスタンスでいたかったから。
ベッドの上で鳴った携帯に目もくれず、階下からの呼び声も適当にあしらい、会話も必要な言葉だけで交わし、二人は黙々とケーキを咀嚼する。
「にーちゃん、イチゴ」
シュンのフォークが、阿部の皿の上の残された苺を狙っている。フォークを構えたその手を指で軽く弾くと、阿部は言った。
「食うよ、楽しみは最後に取ってんの」
甘ったるくなった口内をリセット出来るものは、コレしかない。小さな赤い果実をフォークで刺すと、甘酸っぱい芳香がテーブルの上を満たした。

その匂いで、不意に誘発される今朝の情景。
痛いくらいに冷えて澄んだ空気の中で、言葉を放つ度に漂う甘く暖かな息と、淡いピンクに染まった唇。
それらを思い返し、フォークに刺したそれを口に運ぶのが躊躇われた。赤くなりそうな顔を難しい顔をして堪える。
しかし、弄んでいるままだとシュンに何か言われそうで、阿部は思い切って苺を口に放り込んだ。
「(あ、っま・・・)」
熟された果実は想像以上に甘く、口の中に広がる甘酸っぱさと芳香で、軽い眩暈がした。

【End】

12/11/07
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ぺこえさんが書いてくれた文章(イエッフー★)に、粉砂糖を掛けて再錬成してみました。・・・あ、あまっ(吐血**)



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