黒猫


ついさっき皆で賑やかに帰った夜道を、阿部は一人戻っていた。
立ち漕ぎしたくなる気持ちを抑えて、只黙々と普通のペースで自転車を漕ぐ。着いた時に呼吸が乱れているとみっともない。
嬉しいのと恥ずかしいのと照れくさいのと、何だか身悶えしながら転げまわりたい気分に頭の中は激しく混乱しながらも
求めているものは明確に向かう先へあった。


「いまからこられますか。げんかんついたらめーるください」
タイトルだけの拙いメール。いつも三橋のメールには本分はない。ついでに言うと変換も無い平仮名の羅列だ。
メールを受けた時、お礼のメールかと思って何の気なしに開きタイトルが目に飛び込んだ瞬間、阿部は固まり
すぐさま携帯を閉じた。
勢いよく閉じた音が夜道に響き全身が固まったが、他の連中は雑談に沸いているようで注目される事はなく、阿部はこっそりと胸を撫で下ろした。
「またなー」「おつかれ」「おう、おやすみ」「気付けて帰れよ」
分かれ道、それぞれ思い思いの挨拶の言葉を掛けて家路へと皆が帰って行く。
阿部は挨拶に対して軽く手を上げて返し、携帯を開いてメールを打った。玄関前に着いたら即、送信出来るように。
打ち終わった携帯を閉じ顔を上げるともう皆の姿は無く、街灯の灯りの下に居るのは自分だけだ。
周囲から完全に人気が無くなったのを確認すると、阿部は元来た道へと自転車の向きを勢いよく反転させた。

最近ブレーキの効きが悪く、その音が響くとまずいので、家の近くで阿部は自転車を降りた。
自転車を押しながら歩いていると、茶色の何かが視界を過ぎった。すらりとした肢体の猫だ。こっちを見ているのが夜目にも分かる。
その猫は阿部の足元に軽く擦り寄ったかと思うと、数メートル先に寝転んで腹を見せた。誘うように尻尾がパタパタしている。
「撫でてほしいのか?」
飼い猫なのだろう、人懐っこさに思わず撫でてやろうという気になった阿部は、自転車をその場に止めて茶猫が寝そべっている所へ近づいた。
だが手が触れそうになった瞬間、茶猫は軽やかに身を起こし前方へ駆けた。そのまま駆け去るのかと思いきや、また振り返ってこっちを見ている。
茶猫の体毛は街灯の下だと淡黄色に見えて、それは三橋の髪を思い起こさせた。茶猫は阿部を見詰めたまま、ニャアと甘えるような声で鳴いた。
その声と最中での三橋の声が何故か重なり、阿部はひとり暗闇の中で顔を赤くした。
「・・・何 考えてんだ、オレ」
終わった後に会う約束はしてなかった。去年の流れから皆で祝おうと決まった時に、二人だけで会うのは諦めたから何も言い出さなかった。
三橋にもそんな素振りは見られなかったから、メールを見て目を疑った。
いやでも、二人きりで会うからって、別に泊まれる訳じゃないだろう。
おばさんはニコニコしながら祝いに来た皆がメシを食うのを眺めてたし、今三橋が家に一人って訳じゃない。
多分、何か用事があるだけなんだ。そうだ、そうだよな。
期待すればそれだけ、外れた時の落胆は大きい。阿部は自分に何度もそう言い聞かせた。
何やらブツブツ呟きだした阿部を茶猫は首を傾げて眺めていたが、構って貰えなさそうだと判断したのだろう、大きく伸びをして歩き出そうとした。
その時、塀から黒い影が茶猫に覆い被さってきた。それは茶猫よりも少し大きい黒猫だった。
「フミャッ!」
驚いた茶猫は高い鳴き声を上げて逃げようとしたが、黒猫に首筋をゆるく噛まれて身が竦んだようだ。
黒猫は首根っこを咥え込み、圧し掛かった状態で腰を擦り付け出した。と思ったら、茶猫がすごい勢いで振り返り、黒猫にネコパンチをかました。
黒猫が一瞬怯んだ隙に、茶猫はその身体の下から軽やかに駆け出す。その後を黒猫は追い掛けて行った。
夜道に二匹の鳴き声が徐々に遠く、小さくなってゆく。
何をしたのか分からない程の短い時間だったが、交尾だったのだと何となく理解した。
残された阿部は何故だか当てつけられた気持ちになり、またそう感じた自分に対して何とも複雑な表情をした。


玄関先でメールを鳴らすと、すぐそこで着信音が鳴っているのが聞こえた。カラカラと扉が開いて、風呂上りなのか少し濡れた様な質感の髪が覗く。
続いて三橋が顔を出した。
緊張しているような困ったような、いつもの垂れ眉が更に下がっている気がする。でも表情に喜びの色が滲んでいているのを見取り、阿部は照れくさ気に下を向いた。
自分が来るのを待ってたのかと思うと言動に支障が出そうになるので、敢えて考えない事にする。
「ど、どうぞ」
「どうぞって、中、入っていいのか?」
三橋は唇に人差し指を当てて【しー】のポーズをした。入れという手振りに促されるまま、阿部は小さく頷くと小一時間前に出たばかりの三和土へ上がり込んだ。
「お お母さん、もう 寝ちゃった。あ 明日朝、早いん だっ、て さっき、聞いた」
玄関に鍵を掛けながら小声で説明するその項と耳の後ろが、ほんのりと赤い。三橋は背を向けたまま、阿部が脱いだ靴を見えない所へ仕舞った。
すぐさま現状を把握仕切れず、暗に泊まれと言われているのだと靴を仕舞われた事で漸く気付き、阿部は同じように赤くなった。
「上、いこ」
赤面している事を知られたくないのか俯いたままの三橋に手を引かれ、おぼつかない足取りで階段を上る。三橋の掌は温かく、しっとりしていた。
もう本当は家に着いていて、自分のベッドの中で見ている夢じゃないのか?
一瞬そんな思いが頭を掠めたが、そうではないと三橋の部屋の惨状で知らされる。
見事なまでの宴の後。ついさっき後にした状況とまるきり同じだった。片付けると言ったけど、三橋は朝片付けるからいいと皆を玄関に送り出したのだ。
「ウチ、連絡 した?」
「あ、ああ。今からする」
コミュニケーションはマウンドとこんな時だけ、やたらとスムーズだ。
阿部は母親へ『今日は三橋んちに泊まりになった』とだけ送信した。遅くなる事は告げてあるから、ひょっとしたらもう寝てるかもしれない。
どっちにしろ阿部に対しては放任主義なので、折り返し連絡が来る事はないだろう。
「お、おフロ 入れる、よー?」
携帯を閉じて声の方に顔を向けると、三橋はベッドの上で四つん這いになってシーツを整えていた。
色々、限界だった。
阿部はフラフラとそこに近づく。その気配に気付いて三橋は振り返ろうとした。
「ぶっ」
突然押さえ込まれて顔面と枕が衝突し、三橋はくぐもった声を出した。丁度、猫が伸びをしているような格好になった三橋を阿部は上から眺めた。
項からTシャツに隠れている背中の曲線は、掌で何度もなぞりたくなるくらい健康的な滑らかさを持っている。
「あ、あべく ひぁ!」
項に噛み付かれ、三橋は小さく叫んだ。歯を立てられたまま舌先で肌を舐め回されて、その感触に鳥肌が立ち自然と身体が震えた。
身体の下で震えている三橋の唇を指で弄びながら阿部は項から口を離し、噛み痕を何度も何度も舐め上げる。
「ふ ぁあっ、ん」
三橋のか細い嬌声を聞きながら、阿部はふと、何処かであの黒猫が自分達を見ているような気がした。


【完】

05/18/08
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遅れました・・・orz 三橋、誕生日おめでとう!


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