華麗なる阿部一族 第三話


一限目の準備をしようとして鞄から教科書とノートを探す視界の端で、緑色のランプが点滅しているのに気付く。携帯メールの着信表示だ。
目的のブツを机の上に放り出して、三橋は慌てて携帯を手に取った。こんな時間にメールの着信があるのは、何か親からの連絡である確率が高いからだ。
だがボタンを操作して受信ボックスに表示された名前は、三橋の予想に反した人物からだった。
『阿部隆也』
『(non titel)』
一瞬、自分が何かやらかしたのかと全身硬直するが、すぐさまぷるぷると首を横に振る。な、何もして ない、よっ!という自信が三橋にはあった。
体調・勉学・部活、三拍子そろってオールグリーンである。テスト期間でない、今のところ。
と、深呼吸で自分を落ち着かせつつ、恐る恐るメールを開く。実際はボタン一つで即御開帳であるのだが、三橋の心情的な意味で。
そしてまた予期していなかった文面が、三橋の目に飛び込んできた。

『悪い、風邪引いたから今日休む』

目を丸くして、三橋は本文をスクロールしていく。三橋のメール画面は老人にも優しい文字仕様だ。要は字がでかいので細やかなスクロールが必須である。三橋の指は忙しく携帯の下ボタンを連打する。
『学校と花井には休む連絡したけど、今日オレらがやる予定だった投球メニューを以下に書いておく。相手は田島か花井で。』
冬のある期間中は朝練がなく、練習は放課後だけだ。そして投球メニューには直接的モモカンの指導はなく、日々の部活の中で阿部と三橋の遣り取りで決めているものだ。
しかし『以下のメニュー』とやらは、三橋の頭には入って来なかった。
「(阿部君、風邪……?)」
夏の大会であの約束が反故になり阿部も人の子であると気付いた筈なのに、何故か必要以上に動揺している事に三橋は気付かなかった。
冬の間は特に体調管理をうるさく言われ、そして『オレだって気を付けてんだかんな』と念を押されるのが、ここ数カ月のお約束だったというのもある。
「三橋っ、みーはーしーっ、(ケータイッ、)しまえって」
斜め後ろからの田島の呼び掛けで我に返り、正面を向くと丁度教師が教壇に立とうとするところであった。阿部のメールを表示させたまま、三橋は慌てて鞄に携帯を突っ込んで没収を回避する。
「(ありが、とっ)」
「(おーけぃ!)」
斜め後ろを振り返り口パクで礼を言うと、田島は同じく口パクと男前なウインクで返してきた。二人の遣り取りを見いた周囲が小さな笑いで揺れた。

鞄の中の携帯が気になって仕方ない三橋はその日の授業は上の空で、何度も鞄を確認しようとしてその都度、教師に注意される羽目になった。
放課後になっても、三橋の携帯に新しいメールは入って来なかった。


***** **
「……っあ"〜、ちくしょっ」
大きなくしゃみをした後、阿部は思わず悪態を吐いた。熱が非常に高いとか頭が割れそうとか吐きそうに気持ち悪いとか声出ねーよとか、そんなのは無いのだが兎に角、悪寒と身体のだるさが半端ない。
下手をするとトイレにも行くのも億劫になる程である。頭は熱いのに足先は冷え切っていた。つまり、ベッドから出たくないのだ。
ベッドサイドの1.5Lのポカリを手に取り、飲めるだけ飲む。ぐっぷはぁーとげっぷをして時間を確認すべく、その隣の携帯を手に取る。6時間くらいぶっ通しで眠っていたのかとぼんやりした頭で阿部は思った。
新しいメールの着信は無いのを確認して、携帯をベッドサイドに放り投げる。それに当った中身の残り少ないペットボトルが揺れたが、倒れなかったのを見て枕へ頭を落とした。
花井からはメールを打った数分後に『お大事に、ゆっくり休めよ』と即返信が来たのに、三橋からの返事は無かった。予想はしてたけど、やはり何処か腹を立てている自分に気付く。
「(いんや、風邪ひーたオレが、悪い)」
もう自分の所為で三橋を不安にさせるのだけは避けようと思っていたのに、こんな事になるなんて自分が情けない。
正月休み中の特売で賑わう街に出掛けたその帰り、雨に降られたのが悪かった。雨に降られた事なんて今まで何度もあったのに、やはり気が緩んでいる時には異様な人込みの空気は要注意なのだと痛感する。
明日には学校に行く気満々で液体風邪薬を眠る前に飲んだけれど、少し熱が下がったくらいかなと感じるくらいで全快には程遠かった。
「(スウェット、スゲー汗ぐっちょ。替えねーとな。でもめんどくさい)」
母親が用意していってくれた着替えを横目で見つつ、もう少し後でいいかと鼻先まで布団に潜り込んだ。途端、顔の周りだけ熱が籠るのが分かる。
う"−んう"−んと唸りつつもまたウトウトし始めた時に、携帯が遠慮無しに鳴った。メールの着信だから急がずにだるい身体を起こして一呼吸起き、阿部は携帯を手に取った。
『三橋廉』
『(non titel)』
噂?をすれば何とやらだなと独り言ち、眉は寄るが口元が緩む自分がキモいと自覚しつつ、携帯のボタンを押す。

『いまからいきます』

「はっ はぁぁぁああぁぁぁあ!?」
さっきまでの気だるい動作は何処へやら、阿部はその一文を目にした途端にベッドから飛び起きた。そして携帯の時計を見る。まだ17時前だ。部活を終えてから寄る時間帯ではない。
「何、考えてんだ、あんのバカッ」
すぐさま三橋の携帯に掛けようとしたが、もう自転車に乗ってるかもしれないと気付いて手を止める。アブねっと携帯を握りしめながら深呼吸をしてそれを放り出し、阿部は汗で湿ったスウェットを脱ぎ出した。
三橋が来る前に、自分が快方へ向かっているよう見られる準備をする必要があった。適当に汗をタオルで拭いて新しいスウェットに着替える。冷えたそれは一段と凄い身震いを引き起こしたが、そんな事を気にしている暇などなかった。
着ていたスウェットを抱えて階段を駆け降り、洗濯機に放り込んで冷蔵庫から液体風邪薬を取り出して一気飲みした。階段を昇るその帰りは、何だか一層具合が悪くなった気がする。というか、寒気が止まらない。
靴下くらい履くべきだったかと自分の動揺っぷりに些かゲンナリしつつも、ベッドに潜り顔色を確認すべく手鏡を見た。
微妙な顔色と顔つきである。普段と違うというのは素人目にも分かるだろう。阿部は大きく溜息を吐いた。
三橋に風邪を感染す危険を犯したくないから、練習はどうしたと問い詰めた後に出来れば速攻帰したい。が、それはせっかく来てきれたのにそれはどーよ?という気持ちが重く圧し掛かって来る。
誰か家族が居れば茶菓子でも出さして適当に相手して貰うなり出来るのだが、生憎シュンはボーイズの練習で早くて18時前、母親は父母会の打ち合わせとかで19時くらいまで戻って来ない。父親はそれより遅い事は間違いなかった。
茶でも出して15分くらい話をするくらいでいいかと思い、飲み物の準備をする必要性に気付く。
また下に行くのかとうんざりしながらも、三橋が来たら降りるのだからとまたベッドから起き上がり、今度は分厚い靴下を履いた。半纏を羽織り、マスクを掛けて再度手鏡を見た。怪しい風体だが、具合の悪さはパッと見分らなそうだ。
最低限やるべき事が完了した所為か、気持ちが落ち着き風邪の具合も軽くなったように思える。阿部は階段を降りながら、今度は安堵の溜息を吐いた。
台所に立ち湯を沸かそうとし、いや、ホットミルクココアの方がいいと思い直す。冷蔵庫の中に牛乳があるのを確認し、棚からココアを取り出してカップと一緒にテーブルに置いた。暖房を付けてないのに気付き、リモコンのスイッチを入れる。
どっかりと椅子に腰掛けてテーブルに額を付けて、阿部は目を閉じた。ひんやりとしたテーブルの冷たさがじんわりと額に心地いい。三橋に言う事を整理しておかないとなーと考えていると、玄関の呼び鈴が鳴った。
「……はえーよ」
独り言ちながら椅子から立ち上がり、玄関へ向かう。険しい顔をしてると具合悪そうに見られるかもしれないので、眉の挙動には気を付けようと阿部は思った。
解錠してドアを開けると、いつも以上に困った風体でもじもじと三橋が立っていた。阿部の顔をちらっと見て、また斜め下を向く。その様子に思わず出そうな小言が引っ込んでしまった。
「こ、こんにち わ」
「おう、上がれよ」
オジャマ、しますと小さく呟き、家に上がる三橋の後姿に阿部は声を掛けた。
「お前、部活は?」
三橋の肩がビクッとなって全身が硬直したのを見て阿部は あ"ー… と心の中で呟き、その背を両手でぐいぐいと押した。
「取り合えず中入れ」
ぎこぎこと頷きロボットみたく手足を動かす三橋の真後ろを歩きながら、話を続けたいがテーブルに着いてからのが良さそうだと判断する。
阿部がホットココアを三橋に差し出すまで、お互い無言だった。特に三橋は呼吸をしているのかも不明なくらい、微動だにしない。
「ぅ ありが、と」
カップを手にしてその温かさに緊張が解けたのか、はふぅと息を吐いてから三橋は礼を言った。が、カップに口を付けようとせずに阿部の顔をチラチラと伺っている。阿部は眉が動きそうになるのを、うぐぅと押さえた。
「まずは、飲め」
「は、はひー」
意識してゆっくりと言ったので、必要以上に警戒されなかったらしい。三橋の舌に合わせて温めに作ってあるココアは、幾ばくかの緊張を解かしたようだ。
飲み干した後、何処ぞのご老体のように はふーっ と満足げに息を吐く三橋を見て、そろそろいいかと阿部は口を開いた。
「で、」
「……で?」
小首を傾げた三橋を見て、問い詰めるとまた硬直してしまいそうだと、阿部は逡巡する。どう切り出すか考えようとするが、熱の所為で考えが全然纏まらない。
額に手を当てて考え込んでしまった阿部を見て、三橋は阿部家へ来た目的にハタと気付いたようだ。
「あ、阿部君 具合、悪いのに ごめっ」
気だるげに顔を上げた阿部の方を向かず、何やら鞄の中を漁りながら三橋は捲くし立てた。
「あのね、阿部君っに 早く、よくなって 貰えるよに、オレ」

たっ田島君とっ泉君に、そーだん したっ!

むっふーと勢い込んで言われた台詞を聞き、阿部は一気に背中を駆け上がる悪寒と嫌な予感に襲われて顔面が蒼白になるのが分かった。
9組メンバーと自分の相性が最悪なのは重々承知しているのもあったが、これは何か、非常に、ヤバ
「阿部君はっ ドレが、いいです か?」
「ど、どれって ナニ!?」
脳内の警告音を遮られて慌てて三橋の方を見ると、いつの間にかテーブルの上に意味不明なグッズが並べられていた。ちょっと深読みすると卑猥なそれらを嬉しそうに三橋は指差してゆく。
「い いち、な ナース、に かいごっされる! に、げねつざやくをっ 入れる! さん、びょーにん しょくを、食べるっ!」
あの二人に言われた事を反芻しながらだろうか、数えるようにゆっくりと地獄の選択肢を並べていく三橋を視界の外に放り出して、椅子から転げ落ちそうになるのを阿部は必死に耐えた。
「……あのさ、わりーんだけど」
「うん?」
きょとんと自分を見つめる三橋に届けと、テーブルの上のナースコス&座薬の箱&何か入ってるビニール袋へ腕全体振り下ろしながら、阿部は渾身の力を振り絞って訴えた。
「こいつらのっ!いみがっ!ぜんぜんっ!わかりませんっ!!」
「ど、ドンキ で、買った よ?」
「買った店、とか じゃ、なくて!」
「カゼの時、こーされると 嬉しーよね?」
「…………ぇ?」
「お、オレは ナースコスとかっ、うれしー」
うひっと可愛らしく且つ不気味に笑う三橋を見て、全ては三橋の思い込みに便乗したあの二人の策である事に気付いたはいいが、自分の意志を明確に伝える気力が殆ど無いのを阿部は自覚していた。
座薬とか入れられるの、お前好きなの? なんてアホな質問が口から出そうになる前に、阿部はテーブルに突っ伏して指を三本突き出していた。
「さ、三番 で、いい?」
声を出さずにうんうん頷くと、椅子とテーブルがガタガタと揺れて三橋が勢いよく立ちあがったのが分かった。こんなに体力・気力差がはっきりしていれば、もう自分の成す術は何もない。
「で、電子レンジ 借りますっ!」
三橋が【火器厳禁】を身に沁みて理解しているのに少し安堵して、阿部はぐりぐりとテーブルに額を擦りつけた。レンジでチン物なら、そんなに妙なモノは出来上がらないだろうと自分を宥めつつも

三橋が作り上げる前に、誰かお願いだから帰宅して来てほしいと心の底から祈った。


* **
祈りは届かなかった。

「阿部君っ、で 出来ました、よー?」
朗らかなその声は阿部の不安を少し軽くしたが、顔を上げてテーブルの上に置かれたその物体は、過去の惨劇(※事件簿4参照)を彷彿とさせるモノであった。
置かれた丼ぶりの中は、何やら真っ黒な汁の上に黄色の物体がとぐろを巻いていて、汁から申し訳程度に麺らしきモノが見え隠れしている。鼻が利かないので、何で出来ているのか皆目見当が付かなかった。
が、病人食どころか、この世の食べ物ではないのは明らかだった。
「……これ、ナニ?」
「こーらーめん、だよっ!」
おどろおどろしい丼ぶりの中を恐る恐る指差して問う阿部とは対照的に、三橋は楽しげに答えた。
「こ、こーらーめん?」
麺系なのは何となく分かるが、ラーメンの新作?それとも亜種だろうか?と首を傾げる阿部に、三橋は張り切って説明し出した。
「えぇっとね、こ コーラを、ふっとう させて」
「は?」
「そん中に めん入れて」
「……ぇ?」
「三分待って、上にマヨネーズ かけてっ」
「…………」
「できあがり、デス!」
丼ぶりを持ちニカッ+と天使の頬笑みで差し出す三橋。そして俯きブルブルと震えだす阿部。二人の間の空間は、今、対極のオーラに満ち弾けようとしている。
そして均衡は、直ぐに破れた。

『おまえが、くえっ!!!!!!!!!!!!』

カッ!の形相で、丼ぶりを三橋の顔面にぐわしゃー!としようし
……たが、その動作の途中で阿部は華麗に昏倒した。

「あ、あべくーんっ!?」「に、にいちゃんっ!?」

『シュン、おせぇよ……』
終劇に間に合わなかった弟へ悪態を吐きながら、二人が仲良くハモる叫び声を遠くに聞き、阿部は意識を失った。


***** **
「結果的に、一気に熱引いてよかったじゃん?終わりよければってヤツ」
「……まーな」
「コーラーメン、田島さんが深夜番組でやってたの観て、食いてー!って連呼してたんだって」
「……あっそ」
「レン先輩、すっげー泣いてたよ」
「……ふーん」
「ま、オレがちゃんとフォローしといたから、安心しといてよね☆」
「……どーも」
シュンが大きく溜息を吐き、部屋から出て行った音を背後に聞きながら、阿部はベッドの中で横たわったまま肩の力を落とした。
どうやら丼ぶりを持って三橋の顔に中身をブチ捲けようとし昏倒したらしいのだが、丼ぶりの中身がどんなんだったのかさえ阿部は思いだせないでいた。まぁ、思い出せない方が本人の為ではあるが。
思い出せないとはいえ、丼ぶりの中身を三橋にぶっかけようとしてただなんて、自分が信じられなかった。
明日、どーやって三橋に謝ろうか?
布団に潜り頭を抱える阿部の脳裏に、シュンが置いて行った台詞がふと甦った。

『ま、オレがちゃんとフォローしといたから、安心しといてよね☆』

「……って、どーゆー意味っ それ!?」
がばっと身を起こし扉の向こうへと叫んだが、勿論、返事などある訳もなかった。

【完】

01/25/09
***** **
コーラーメンは深夜番組でウマイとマジで言われてましたが、自分は食したくありません。阿部不憫ハートフルストーリーの書き方を忘れてなくてヨカッタです(笑。ニコッ★


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