西浦高校野球部の事件簿 第八話 【中編】


「オレ?群馬に帰る、けど」
終業式も終わった部活納めの日、部室で冬休みの予定を訊かれてアンダーを脱ぎつつ、そう三橋は答えた。
「・・・あ、そっか。お前んち、実家群馬だったよな」
着替えの手が止まり暫く間を開けた後、我に返った阿部は慌ててそう言い繕った。その様子を三橋は訝しげに見遣る。
阿部の動揺がタイムリーに自分へも伝わるのは、珍しい。
「ど、どうか した?」
「いや、何でもねぇ」
今度は即答された。
口調からして、同じ事を問い直しても無駄だと三橋は諦める。何度も経験済みだ。
が、代わりに別の切り口で問い直す。これもこの9ヶ月間で培った、三橋なりの阿部用社交術の成果である。
「あ 阿部くん、は?どっか行く?」
「や、行かねーよ。どっこも。寝て過ごす」
上着のボタンを留める自分の手元を見詰めつつ、阿部は答えた。こっちを見てくれようとしない。
何か、気に障る事を言ってしまったんだろうか?
思わず深い吐息を漏らしそうになった三橋の背を、阿部は苦笑いして軽く叩いた。
「群馬で、ゆっくりしてこいよ。三星の奴らとも会うんだろ?」
「う、うん・・・」
何か引っかかりながらも、三橋はぎこちなく笑い返したのだった。


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手から携帯が離れ慌ててストラップを掴もうとした、その僅かな時間に三橋の脳裏へ浮かんだのは、あの日の阿部の苦笑いだった。
「あーーーっ!!」
そしてストラップは三橋の手をすり抜け、携帯は鯉の口の中 もとい、池の中に落ちてしまった。
「っと!」
が、鯉が危険を察知し散り散りになり携帯が完全に池の中へ沈没しまう前に、叶が水面すれすれでストラップの端を掴んだ。
「ナイキャ!」
ルリが飛び上がって手を叩く。叶はずぶ濡れになった携帯を片手に、無邪気に喜ぶルリの方へ呆れた表情で向き直った。
「『ナイキャ!』じゃないだろ?この状態じゃ」
通常状態とは間逆にストラップにぶら下がった携帯は、くるくる回りながら滴を撒き散らしている。確かに無事な様には見えなかった。
「でも、ありがとう修ちゃん。池に全部落ちちゃってたら、拾うの大変だった よ」
ハンカチで水滴を拭った携帯を叶から手渡され、三橋は礼を言いつつブラックアウトした携帯の電源ボタンを押してみた。
「・・・生きてる?」
恐る恐る三橋の手元を覗き込むルリ。三橋は静かに首を横に振った。何度ボタンを押しても、手の中の携帯に光は点らない。
「カンペキ、死んだな」
同じように覗き込むとそう呟いて叶はルリの方を責めるように見、そんな叶の視線をルリは睨み返した。
「あ、あたしっ! 脅かしてない もん・・・」
とはいえ、タイミングがタイミングなので語尾が小さくなるルリに、三橋は頷いた。
「オレが手、滑らしちゃったんだ。でも、どうしよう」
弱っている小動物をいたわるように両手で大事そうに包み込んだ携帯へと、また視線を落す。
「誰からだったんだ?」
そんな三橋の様子に、思わず叶はそう訊いていた。
「あ、阿部くん・・・」
「あべ?あー、西浦のキャッチ」
『向こうの友度』じゃなくて個人名が出た事に少し違和感を感じつつも、叶は一回会ったきりだけど記憶に残っているその顔を思い返した。・・・あのタレ目か。
「なんか、連絡しなきゃダメな事でもあったの?」
心配そうなルリの問いに三橋は直ぐ首を横に振った。
連絡が必要って訳じゃない。年明け会った時に理由を話せば分かって貰えるだろう。けれど。
「・・・けど、ちょっと様子 気になって、て」
どうしよう
もう一度小さく呟き、掌の中の携帯を深刻な表情で見詰める三橋を前に言葉を掛けあぐね、二人はただ傍らに佇む事しか出来なかった。
そんな重い沈黙を、意外な提案で叶は破った。
「・・・会いに行けば?そんな心配なら」
答え返す言葉を出せないまま、三橋は目を真ん丸くして叶を見詰めた。ルリも同じように目を真ん丸くして、すぐさま抗議した。
「今からぁ!?大晦日だよ?」
「だって確認すんの、それしかねーじゃん?」
「お、おじーちゃんが怒る よ」
突飛な提案に反した冷静な表情の叶に怯みながらも、ルリは最後の抵抗を試みた。叶は本気で言っているのだ。
「もう会ったんだろ?何日かこっちに居たんだろ?充分じゃね?」
「修ちゃん・・・」
曇り加減だった三橋の表情が、みるみるうちに明るくなった。
「お父さんとお母さんに、相談して来る。ありがとう!」

「・・・廉と一緒に居たくないの?折角、こっちに来てるのに」
家へ駆け込んで行った三橋の後姿を見送りながら、ルリは横目で叶の表情を伺いつつ不貞腐れ気味に呟いた。
「もし、オレが廉に対してそーなったらどうするかって、考えただけだよ」
少し寂し気に笑った叶の横顔が切なくて、それが伝染するのが嫌で、ルリは乱暴に池の中へと石を蹴り入れた。
蹴り上げられた小石は放物線を描いて池の中央に落ち、薄氷の張った水面に大きな弧を描いた。


* **
「元旦のご挨拶終わったら、お母さんもそっち帰ろうか?そうじゃなくても三日の夕方には帰って来るけど」
西浦野球部の連絡網が入っている携帯は自宅に置いたままで、矢張り直接会いに行くしか連絡手段が無いと判明し、
祖父への説得は父親に任せて、取り急ぎ息子をボルボで駅へと送り出し中なのであった。
「だ、だいじょぶ!・・・おせちも一杯詰めて貰って、忙しいのにありがとう お母さん」
助手席で大きな包みを抱え、三橋は心底感謝を込めて運転席の母親を見上げた。
「ま、そんだけ持たせて貰えば、餓死はなさそーだよねー」
後部座席からルリが顔を覗かせて三橋の髪を引っ張り、その指を解く為に頭を振ってから顔を上げて、三橋は反論した。
「3日くらいだったら、オレだって へーき」
「そーだよな、コンビニとかあるしな」
隣に座っている叶の援護射撃に、ルリは唇を尖らせた。
「でも体に悪そうだよぉそんなの」
「そうよねぇ」
「(この子達、幾つになっても変わらないわねぇ)」
含み笑いをしながら、母親は分が悪そうなルリへ相槌を打った。

車から降りると鮮烈な冷気が頬を刺した。空は夕焼けというよりも、もう冬の夜の重い色が濃くなってきている。
「向こうへ着いたら家の電話で連絡するのよ?火の元と戸締りはきちんとね」
「うん」
白い息と共に母親に頷いてから、三橋は後部座席から降りた叶とルリに向き直った。
「見送り、ありがとう。行って来るね」
「おう、またな!」「・・・気をつけて ね」
叶は意識して朗らかに、ルリは少し寂しそうに、それぞれ答えた。
改札へと向かうその後姿を暫く見送り後部座席に乗り込もうとした時、不意に三橋に呼び止められた。
「しゅうちゃんーっ!ルリー!」
その声に二人が振り返ると、三橋は改札の向こう側で一生懸命こちらへと手を振っていた。
「ね、年賀状!向こうから、出すから ねーっ!」
寒さで赤く染まった頬に満面の笑みの三橋を見て、知らず二人の表情も綻んだ。同じように手を振り返す。
「おー!」「待ってるー!」
改札の中へ三橋の姿が消えてからも車の中から呼び掛けられるまで、暫く二人はそこに佇んでいた。


***** **
「(何やってんだろ、オレ)」
日がすっかり暮れた薄暗がりの中、転た寝から目覚めた阿部はベッドの上でそう自問自答した。
握っていた携帯には何の光もなく、自分が打ったメールの返信が来ていない事を冷たく示している。
腹は減ったが食べる気になれない。自分で用意しないと何も出てこないと分かってはいるのだが、ベッドから身体を起こすのが面倒くさい。
他の家族は三十一日から三日までの三泊四日、温泉地で年越しをしている。親が会社のビンゴで当てた二名様ペアチケットに、一名追加したのだ。
勿論、両親は家族水入らずで阿部も連れて行くつもりだったのだが、それを断った。

何で行きたくないの?
めんどくせーし、年明け用事あんだよ
帰ってからでいいじゃない!
帰ってからじゃダメなんだよ
延々続きそうな母親との押し問答は、父親の一声で決着が付いた。
「行きたくなければ、行かなくていい」
そして『留守中、自分で何でもしろ』を条件に、留守番を許されたのであった。

『年明けの用事』は三日に野球部で初詣に行くという他愛も無いものであったが、阿部にとっては『三橋に会える』という意味で非常に重要だったのだ。
誕生日に祝って貰って以降、三橋とは部活以外でのコミュニケーションを取れておらず、それが阿部の中で何となく不満というか、もやもやした気持ちを育てていた。
出来れば冬休み中に会えればと思ったのだが、向こうは帰省するとの事で一人落胆したのであった。
「(何、期待してんだ・・・)」
手の中の反応の無い携帯を見詰めつつ、阿部は大きく溜息を吐いた。
自分が打ったメールは『メシ食え・投げ過ぎるな・体調崩すな』的シンプルなもので、返信が必要な内容ではなかった。
が、自分が三橋を気に掛けている程度に自分も気に掛けられたいという己の願望に気付き、そんな自分は女々しいと阿部は沈み込んだ。

「・・・ハラ減った!」
丸くなって鬱々しているのにも飽き、気分転換に何か食おうと阿部はベッドから跳ね起きた。
リモコンで部屋の電気を点ける。闇に慣れた目には人工の光は眩し過ぎて、阿部は思わず顔を顰めた。
部屋を出て階段を下りようとした時、玄関のチャイムが鳴った。


【続く】

02/04/08
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と、年明けはまだですk・・・(倒)




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