西浦高校野球部の事件簿 第八話 【後編】


目的地に辿り着いた時には、もう日はすっかり暮れて辺りは静かな夜が満ちてきていた。
街灯と隣近所の家から漏れる光で辛うじて自分の手元くらいは確認出来るものの、阿部の家には明かりが灯っておらず、まるで家人は誰も居ないようだった。
「(阿部くん、寝て過ごすってゆってたし 寝てるのかな・・・)」
言われた事を丸々信じて、『家族総出で外出』等のシチュを思いつかないのが三橋のスゴイところである。
ふぅー、とゆっくり吐いた息は三橋の顔面を暖かく曇らせた。ずびっと垂れそうになった鼻水を啜って、三橋は阿部の部屋があるであろう二階を見上げた。
「(起こしちゃったら悪いから もちょっと、待ってみよう)」

・・・と、忠犬ハチ公の如く待つ事一時間弱。

寒いしもう真っ暗だしまるで人の気配はしないしで流石に不安になり、一旦自分ちに帰ろうかと思った矢先、二階に明かりが灯った。
「あっ・・・!」
今泣いた烏がもう笑う?
そんな安堵と嬉しさで泣き笑いの表情になりながら、三橋はいそいそと玄関先へ駆け寄り、悴んだ指で呼び鈴を押した。


* **
「誰だよ、こんな時間に。つーか、大晦日だぜ・・・?」
まぁ一応留守を預かる身である。居留守を決め込む訳にもいかず、ぶつぶつ文句を言いながらも阿部は突っ掛けを履いて玄関を開けた。
「は」
『はい?』と応えようとした言葉は途中で喉の奥へ引っ込み、阿部は玄関を開けたポーズのまま固まった。驚きのあまり思考さえも完全停止してしまい、何も考えられない。
扉の先には、洟を啜りながら少し極まり悪そうに立っている三橋が居た。
「・・・おまっ」
漸く声が出たのは、玄関を開けてからたっぷり1分は経っていたであろう。阿部の声を聞いて安心したように、三橋もゆっくりと口を開いた。
「ごめ・・・阿部くん、・・・オレ」
その言葉で正気に返り、阿部は乱暴に三橋の腕を掴んだ。
「ばっか、おまっ!なっ!!」
そのまま腕を引いて家に入れる。よろけている三橋を明かりの下で見ると、寒さで頬が真っ赤になっているのがはっきりと分かった。思わずその頬に手を遣る。
「つめてっ!」
その声音に危険を感じた三橋は身を離そうとしたが一歩間に合わず、思いっきり阿部に頬を両手で挟まれる羽目になった。
「な に を し て る ん だ、おまえはぁ!」
むぎゅーと頬を押しつぶされた三橋の顔は洟も垂れるし人のものとは思えず、正面で見合っている阿部が怒った表情でいられるのが奇跡である。
「ふぉ、ふぉれ えいあい いへい おおちあ って」
「何言ってんのか分かんねーy!!」
阿部はまた自分の手に力を籠めようとしたが、言葉を分からなくしている原因がそれにある事に気付き、渋々三橋の頬から両手を離した。
開放された三橋は自分の両手で頬を労わりつつ、垂れた洟を手の甲で拭き少し涙目で阿部を見上げた。
「オレ、携帯 池に落しちゃって、使えなくなっちゃって」
「そんで?何でオレんち来る訳?」
呆れ顔になった阿部に萎縮して三橋は反射的に俯き、それでも小さな声で言葉を続けた。
「阿部くんのメール、読めなかったんだ。 気になって・・・だから、会いに」
オレんち携帯屋じゃねーぞ、と言い掛けた阿部はその口を噤んだ。急に胸が詰まって、それを逃す為に大きく息を吐く。ホント、こいつって・・・
「・・・ばかっ」
思いっ切り低く呟いた。怖がらせて、顔を上げられないように。
そして思いっ切り顔を顰めたのは涙腺が緩みかけたからだが、そんなのは勿論三橋に気付かれる訳にはいかない。
俯いている三橋の頭をぐわしっと、両手で鷲掴みにし、わしわし撫でまくる。頭を揺すぶられる形になった三橋は「うはっ ん むっ」と人外語を発した。
「取り合えず、なんかあったけーもんでも飲め!」
散々髪の毛を掻き回され目も回っている三橋の手を引き、阿部は足音も荒くキッチンへと向かった。


* **
「ここ、座れ。上着はまだ脱ぐな。ハナはこれでかんどけ」
ティッシュを手渡し座る場所を三橋に指図して、阿部は冷蔵庫から牛乳を取り出しカップに注ぎレンジに入れた。そのタイマーが鳴る前にコンロに火を点け薬缶に湯を沸かす。
「ほら、コレ飲んでな」
ホットミルクを三橋に手渡すと、阿部は風呂場へ直行した。兎にも角にも、三橋を暖める事だけに意識が逝ってしまっている。
ぽけーとしてる間に温かい飲み物を手渡され、その立ち昇る湯気でまた鼻水が出そうになり、三橋は慌ててティッシュで鼻をかんだ。
「(やっぱり、阿部くんは スゴイなぁ・・・)」
テキパキとした動作に感心しながらホットミルクを啜っていると、阿部が一仕事終えた表情でキッチンへ戻ってきた。
「あー、ハラ減った」
無意識に呟いて椅子に座る。その言葉に釣られたように、三橋のお腹がぐぅと鳴った。
「ぅ・・・」
「何、お前もハラ減ってんの?夕飯は?」
腹に手を当てて少し赤面する三橋に慌てて確認する。食い意地の張っている三橋が、まさかこんな時間に空腹であるとは全く考えてなかったのだ。
「た 食べて、ナイ」
「げ、マジ?オレだけだと思ってたから、ソバくらいしか直ぐ出来ねー」
うっわーやべぇ、面倒でも今日買出し行っとけばよかった。コンビニか?いや、出前でも取るか?
なんて脳内食料調達に追われて急にフリーズした阿部を見て、三橋は自分が持ってきた荷物の事を思い出した。
「お、オレ!おせち持って きた」
ごそごそと荷物の中から大きな風呂敷包みを取り出すとテーブルの上に置き、三橋はその包みを解いた。
シンプルだけど間違いなく漆塗りであろう御重の上蓋を開けると、美しく彩られたおせち調理がぎっしり詰まっていた。思わず感嘆の声を漏らす二人。
「ちょ、スゲーなコレ。お前んち、毎年こんなん?」
「う、うん。じーちゃん家のは、こんなの」
コクコク頷く三橋と御重の中身を見比べながら、阿部は思案顔になった。
「まだ元旦じゃねーのに、食っていいんかな・・・」
「う」
何気に習わしを気にする阿部であったが、エサを目の前にお預けを食らっている犬の如く、思いっ切り切ない表情をした三橋を見てひとり苦笑する。
「ま、背にハラだよな!」
「う、うん!!」
『背にハラ』を正しく理解してないだろうが、『食ってヨシ』の意味だと表情を明るくした三橋の襟首を、阿部はむんずと掴んだ。
「っと、食う前にお前はフロだ。ほら」
「ぅ」
恨めしそうに見上げてくる三橋の頭に、問答無用とばかりに阿部はバスタオルをばっさり被せる。
「待っててやっから、さっさと行け!3分は肩まで浸かれよ」
「う、うん・・・」
ちらちらと名残惜しそうにテーブルを振り返る三橋を、阿部は表情で威嚇しながら追い立てた。
そして十数分後。
想定内とはいえ、カラスの行水で出て来るなりまっしぐらに卓に着いた三橋に苦笑しながら、阿部は湯気の立つ丼をその前へ出した。
「ソバ、食うだろ?」
三橋が覗き込んだ丼の中には、蕎麦の上に大きな身欠き鰊が乗っていた。勿論、ネギもたっぷり乗せてある。
「う、うぉ!阿部くんが作った、の?」
「作ったつーか、出汁はパックのだし、麺茹でて身欠き鰊乗せただけだよ。大晦日用にな」
自分の分も丼に盛り、阿部も椅子に掛けた。三橋は既に口が半開きのまま、食べ物が並べられたテーブルの上に視線が釘付けになっている。
「・・・せーの」
フリーズしている三橋を見て、仕方なく阿部は例の掛け声の合図をした。途端に時と涎が流れ出す三橋。阿部は慌てて布巾をその口元に持っていってやる。
「「うまそう!」」
そんなこんな時でも、この掛け声はもう野球部員の条件反射なのであった。
「いただきま、す!」「・・・いただきます」
三橋はフルスロットルで、ずぞぞぞーっと常人の1.5倍の蕎麦を啜り上げている。相変わらずの豪快な食べっぷりだ。
「お、おぃひい お、あふぇく」
「いーから、黙って食え。蕎麦はまだあっから」
「ふぉっ!」
蕎麦を口一杯に頬張りながらコクコクと嬉しそうに頷く三橋に頷き返しながら、阿部も蕎麦を啜った。
「(うめ・・・)」
初めて作ったにしては上々だ。そして二人で少しフライングしたおせちの味も今まで食べた中で最高に一番、美味しかった。


* **
「何やってんの?」
テーブルの上に屈み込み、子供が落書きしているように一心に何やら書いている三橋へ、風呂上りの髪を拭きつつ阿部は尋ねた。
「ね、年賀状。みんなに」
三橋の手元にはお年玉付き葉書と筆記用具が散乱している。筆ペン練習の跡だろうか、チラシの裏に文字とも何とも形容しがたいものが踊っていた。
「へぇ、偉いな。オレ書いた事ねーかも」
その手元を覗き込んでみると、普段持ちなれない筆ペンを扱っている所為で書いた文字に接したのだろう、手の一部が真っ黒になっている。
手の汚れが転写して所々煤けている年賀状は、件の下手字に一層凄みをもたらしていた。
・・・こいつ、投球よかペン習字とか練習さした方がよくね?
「あ 阿部くん も?」
いや、ある意味ゲージュツ的なんかもなぁ?とか書かれた文字を見て内心首を捻っている阿部に、おお?という感じに三橋は聞き返してきた。
「ケータイメールとかでよくね?」
「ぁ・・・オレ、それ も」
っと、踏んじまった! 俯き加減になった三橋に阿部は慌てて言い繕う。
「や、貰ったら嬉しいだろうな!うん、嬉しいって、思う」
「阿部くん、も そー思う?」
「おう!」
『も』か。・・・他の誰に同じ事、言われたんだろ?
力強く頷き返した後に阿部はうっかり考え込みそうになったが、三橋の無邪気とゆーか年甲斐も無い質問で、その引っ掛かりは霧散した。
「でね、年賀状って 『あけましておめでとう』以外に、ナニ書けばいいのか な?」
「その年の干支とかじゃね?だからネズミか」
「ネズミ・・・」
「って、どう描けばいい の?」
「んー?なんつの、貸してみ」
三橋の手から筆ペンを受け取り、チラシの裏に阿部はネズミを描いてみせた。取り合えず、絵がアレな事を自覚してない阿部の美術の成績は訊いてあげないでほしい。
その絵を見て絶句した三橋をキッカリ1分待ち、阿部は唸る様に問い質した。
「あんだよ?」
「コレ、ネズミ?」
描かれたネズミ?を指差して三橋は恐る恐る尋ねた。筆の勢いもあってか、それはなんと禍々しく見えるのだろう・・・
「そーだけど?」
「と、とと トカゲか と」
「・・・・・」
確かに、歯ぁ尖って描きすぎたかもしんねーけど、哺乳類と爬虫類を混同視するお前の目は節穴か?
なんて思う阿部は自分の画才を棚に上げ過ぎである。
「じゃーお前も描いてみろよ!」
「う」
阿部が筆ペンを三橋に突きつけたその時、遠くで鐘を突く音が聞こえ始めた。
「もうこんな時間か」
「じょ、除夜のカネ?」
「おー、今年も終わりだな」
年が明ける前に洗い物済ますかー とキッチンに向かった阿部の後ろ姿を見て、三橋は慌てて手元の年賀状に向き直った。


* **
洗い物を済ませた阿部は小さくしていたTVのボリュームを上げた。画面の中ではアナウンサーだかタレントだかがカウントダウンをやっていた。
『さん、にー、いちっ、』
『あけましておめでとうございまーす!!』
「あべくん!」
おめっとさん とTVへ呟きそうになった阿部に、三橋は大声で呼び掛けた。びくっと阿部の肩が跳ねる。
「イキナリでけぇ声出すな!ご近所さんに迷惑だろうがっ」
うめぼしのポーズを取ろうとした阿部よりも早く、三橋は年賀状をその顔面に差し出した。
「あ、あけまして おめでと・・・!!」
決闘状みたく突き付けられた年賀状には『阿部くんへ あけましておめでとう 今年もよろしく』とあって、その左隅には某ネズミキャラのシルエットのようなモノが描かれていた。
阿部の絵よりもネズミらしく見える。
「あ、ありがとう?」
三橋の勢いに押され、首を傾げつつずれた受け答えをして年賀状を手にした阿部に笑い掛ける。
「阿部くん、いちばん に、渡せた!」 うひっ と嬉しそうに笑う三橋を見て、阿部は年明け早々何かを一本取られた気がした。


【完】

03/07/08
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時を遡った挙句に迷走感たっぷりな話になってしまいますた・・・。カレーのように時間を置けば美味くなるもんじゃないなっと☆




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