西浦高校野球部の事件簿 第一話 【暇潰し編】


土曜の夜、週休土日の労働者ましてや学生諸君ならば、諸々の義務から開放されて一番伸び伸びと過ごせているであろう時間帯である。
その場所が温泉ならば、至れり尽くせり言わずもがな、最高のシチュエーションであるハズだ。
が、そんな中で恐らく【世界でたったひとつだけの鬱】を歌えそうな少年が、某有名温泉地にいた。
埼玉県立西浦高等学校硬式野球部キャッチャー背番号2、阿部隆也である。

『家、帰りてぇ・・・マジで』
貸切風呂の暖簾の前で、阿部は呆然と扇風機に浴衣の裾をはためかせていた。
因みに、彼の相方である投手の三橋(絶賛逆上せ中)を肩に担いで立ち尽くしている状態であるので
通りすがる泊り客の不審そうな視線を受けているのに、それらの視線にすら気付けないくらい精神的ダメージを受けていた。
RPG風に表現するならばHP:384/6666+TP:2/999。回復アイテムがゲンミツに欲しいところである。
そんな阿部の心中を他所に、扇風機はゆったりとした一定のリズムで首を振り続けている。
肩にもたれ掛かっている三橋が不自然な体勢を緩和させるように少し身動ぎをして、漸く阿部は我に返った。
依然目を閉じたままグッタリしている三橋の様子に少なからず慌てる。
「やべっ、早く部屋に戻らねーと」
肩に担いだままだと歩き難い。
理性<効率重視モードに入っている阿部は、躊躇することなく三橋をお姫様抱っこして、旅館の廊下を駆けた。

「おい、ちょっと手ぇ貸してくれ!!」
部屋の扉を開けるなり、阿部は障子の向こうへ怒鳴った。が、誰も出てくる気配が無い。
「聞こえねーのか?つか、何やってんだよ!」
阿部は舌打ちをすると玄関先でスリッパを脱ぎ散らかし、上がりこむと障子を足で乱暴に開けた。
蹴り上げた障子の向こう側は無人だった。荷物が散乱した中、TVがつきっぱなしになっている。
「マジ・・・?」
予想外の光景に一瞬凍りつく阿部。が、腕の中の逆上せ姫の重みで己が危機に気付き、膝が落ちそうになった。
阿部の額から汗が三橋の頬に落ちて流れた。

『頼むっ、今、オレを 二人きりにしないでくれ・・・!』

確かに、ゲンミツ的な危機であった。

* **
阿部が部屋で諸々のフラグ立ちに絶望している頃。一方、他の西浦ーぜ。
『田島と水谷がガチで卓球対決している』
と、いう情報は即バッテリー以外の全員に広まり、風呂上りのその足を遊戯室へ運ばせていた。
「みずたにぃー!」
「たじまぁぁぁぁあ!」
「早く、楽にしてやれ・・・!」
「タオル 投げる?」
「いや待て、まだいけるっ」
「わわわ、アクエリ、用意しとかなきゃ」
卓球台で繰り広げられている死闘にその場の全員が釘付けになっていた。
素人目には球のxyz値が把握出来ない。球筋が追えない。
しかし、水谷の浴衣の肌蹴具合はゲンミツに撮っておきたいところである。
少し離れた位置で女子大生だかOLだかのオネーチャンズも、浴衣のまま固唾を飲んでガン見している。
卓球のルールを水谷以外の部員(+作者)が詳しく知らない事から、何ポイント先取で勝利なのかは正確に誰にも分からなかったが
このラリーが終わる時が、どちらかの勝利を確約するという事だけは明白であった。
それ程、台を対して向かい合う水谷と田島は満身創痍な状態で、二人の気力と白球を追う本能のみが
ラリーを支配しているように見えた。

試合開始から1時間弱、遂にラリーの均衡が揺らいだ。能力値が経験値を凌駕する歴史的瞬間でもあった。
「・・・くっ」
崩れた体勢で打ち返した水谷の球を、容赦なく対岸の端へと叩き込む田島。
小さな白球が台の上で鋭く跳ね、繰り出された水谷のラケットの下を潜ると背後の壁に当たり、彼方へと飛んだ。
「「「「「「「「うぉおおおぉおおぁぁぁあああ!!」」」」」」」」
割れる様な歓声の中、田島は天井を仰いでガッツポーズをし、水谷はガクリと床へ膝を付いた。
二人に駆け寄るナイン。みんな決勝戦で勝った如くダダ泣きである。西浦ーぜ以外の観客も勿論、貰い泣きしている。
「お前らなぁ、もう、ホントに全く」
「水谷、よくやった!」
「田島っすげぇよ、お前」
「二人ともすごい、すごいよ!」
「かっこいいぜお前ら!」
「やべー、感動した・・・」
祝福の言葉&タッチを浴びながら、田島は座り込んでいる水谷に手を差し出した。
「スゴかった!超、楽しかった!・・・水谷、ありがと!!」
「・・・たじまっ」
声と表情に零れんばかりの素直な感謝の想いを感じ取り、水谷はボロ泣きしながら田島の手を握った。
その光景に、その場の全員が号泣した。
「「「「「「「「「「たっじっまっ!たっじっまっ!」」」」」」」」」」
「「「「「「「「「「みっずたに!みっずたに!」」」」」」」」」」
遊戯室は二人へのコールで溢れかえった。

* **
一方、TVの音声のみが空しく流れる旅館の一室。
そこには【そして阿部は途方に暮れる】じゃなくて、【そして僕は途方に暮れる】(懐!)がBGMな阿部が放心状態で座り込んでいた。
阿部の傍らには、逆上せ継続の三橋が座布団を枕代わりに横たわっている。
暫くして、阿部は喉の渇きで我に返った。そして重要な事にハタと気付く。
「そだ、三橋に水、飲ませねーと」
コップに水を汲み一気に飲むと、自然と長い吐息が阿部の口から漏れた。喉を滑り落ちる冷たい感覚が、正気を取り戻してくれたようだ。
新たに水を汲んで阿部は三橋の枕元に戻った。
「おい、三橋!いーかげん起きろって!」
三橋の頬をムニョーっと伸ばしながら阿部は呼びかけたが、とんと目を開ける様子がない。
横たえた時も目を開ける気配がなかったので、きっと気を失った後に眠り込んでしまったのだろう。
実際、三橋は野球部全員で温泉に行けるのが嬉しくて、その所為か昨夜はあまり眠れてなかった。
そして深く眠り込んでしまうと、ちょっとやそっとの事じゃ三橋は目を覚まさないのであった。
息遣いは安らかなので眠らせたままでも構わないだろうが、水分は必要のようだ。顔が赤いままなのに充分発汗されていない。
阿部は左腕を背中の後ろに入れて三橋の上半身を起こすと、コップを口元に持っていった。
流し込みやすい様に下顎を少し押さえてコップを傾けるが、大半が三橋の口から零れて胸元を濡らすだけとなった。
「まいったな・・・」
胸元が濡れても三橋は無反応のままだった。
阿部はコップを持っている手をその頬に当てた。三橋の頬は阿部の手よりも熱く、そして乾いている。
コップに当たる吐息がその表面を曇らせて、幾つもの水滴を生み阿部の掌を濡らした。
「三橋?」
目覚めないのを確認するように、阿部はコップを三橋の頬に押し当ててみた。
冷たい感触が心地良いのか、三橋はコップへ頬をすり寄せるように身体の重心を移してきた。三橋の首が阿部へと傾く。
必然的に、二人の顔が至極近しくなる状態となった。
上気した三橋の顔を間近にし、阿部は貸切風呂で自分の身に起きた現象を思い返し、自然と顔が赤くなるのが分かった。
目のやり場に困り、取り合えず天井を仰ぐ。

 ・・・し、暫く練習が忙しくて、抜いてなかったからか?
 どれくらいやってないっけ?いやいや、そこんとこじゃなくて
 大体、相手は三橋だぞ?華奢だから女みてーに見えたとか?
 いやいや、裸は着替えで見慣れてるだろオレ!?

今の今まで、三橋をそんな風に意識した事はなかった。
手は掛かるが同じくらいに応えてくれる、ほぼ理想の投手だと思っていたし、その認識は今も変わらない。
そしてそれ以上の何かが自分の中にあると思えなかったし、寧ろ思いたくなかった。
脳内で何かが掛け間違えたとしか思えない現象だ、と阿部は無理矢理納得する事にした。
「で、どーやって飲ますか・・・」

阿部はエロいヤツだよ。→阿部は不憫なヤツだよ。阿部は可愛いヤツだよ。

※分岐は終了しました。




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